2013年 02月 13日

ファンタジーが現実を超えるとき。

映画は人をどこかへ運ぶべきもの
—アン・リー監督

『ライフ・オブ・パイ』。
見終わってから1日たち、2日たち、3日がたつうちに、
いい映画だったなあ、という思いがつのってくる。
スーパーのレジに並んでいるときとか、
冷蔵庫の中をのぞいているときに、
ああ、そういえば、あれはやっぱりとてもいい映画だった、と思い返します。
クジラのシーンもトビウオもすばらしかったし、
救命ボートにはトラが堂々と乗り、
そばにつないだ、いかだのようなものに少年が乗らざるを得ない、
という共生の構図は弱肉強食のヒエラルキーを思わせて、いささかユーモラスでもありました。

227日間の漂流のあと、ベンガルトラと主人公の少年が別れるとき、
トラは、彼に一瞥もくれず、振り返りもせず、
ジャングルの中に歩み去っていきます。
リチャード・パーカー(トラの名前)のほうこそ、
大きな思いがあったはずなのに(?)振り向いてもくれなかった、
そう言って、少年は小さな子どものように泣くんです。
この場面が、長い時間、心にとどまっています。

そのためか、衝撃のラスト、という前触れにも関わらず、
すぐには衝撃を受けなかった。納得のいかない違和感はあった。
衝撃はずいぶんあとになってからやってきました。
ファンタジーが現実を拒否し、凌駕してしまっていたからだと思います。

監督はインタビューに応えて、
「トラはいろんなものの象徴です。
パイにとっての敵でもあり、恐怖でもある。
そして、自然でもあり、神でもあります。」と言っています。
そして、また、トラは少年自身でもあった。
アン・リー監督の作品に一貫したテーマ「失われた純真さ」を
ここでも、見つけることができます。
失われた純真さとは、ポジティブに言い換えるなら、大人になること。成熟すること。
ほかにも、宗教はもはや世界を救えないのではないか、など、多岐に渡るメッセージは、
観客が受け取りたいように受け取れるようになっている。
3D効果の哲学的サバイバル・アドべチャー誕生です。

by mllegigi | 2013-02-13 16:18 | 映画


<< チキンカレーのためのサラダ      ボストンの旅①七破風の屋敷 >>