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2016年 08月 03日

この家

ある映画のロケに使われた家。何の映画でしょう? いつか行ってみたい場所。
     写真はホームページからお借りしています。答:次回投稿記事のいちばん最後に。


by mllegigi | 2016-08-03 01:22 | 夢の引き出し
2013年 02月 24日

ボストンの旅⑭ビーコンヒルのお医者さんの家

A Proper Bostonian
ーJudithB. Tankard
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「ピンクニー通りまで」と言ったのに「どこにあるかわからない」ですって。
あなた、ボストンのタクシーでしょう?
数ブロックも先まで行って停まったくせに、
「あんたの発音が悪いから」と言わんばかりの顔をしている。
どこで降ろされたのかわからないが、あたりは美しかった。
深い緑色をした年代物のベンツが、ひっそりと駐車している。
ジョギングしているひともいる。
私は直感的に人間が住む最高の場所を、ボストンのビーコンヒルに定める。
今度生まれ変わったら、パリの6区に住みたいんだ、などという願望は
すぐさま、ビーコンヒルの住人になるんだ、という願いに取って代わる。
(ころころ簡単に変わります)
今日はみごとに晴れた暖かい冬の日、人通りも少ない。
今は晩秋ではないけれど、頭の中には
「小春日和のニューイングランド」というすてきな語句が駆け回っている。
マウントバーノン通りを歩いていて、
ニコラスさん(1840-1926)というかつてのお医者さんの家に行き合わせた。
そこはミュージアムで、お宅に上げていただけるらしい。
どうぞ、と招かれて、ツアーに参加するのは私たちのみ。
ボストンに来てから、ホーソーンの家、マーク・トウェインの家、ストウ夫人の家、
そして、ニコラスさんの家で4つ目のおうちを案内してもらうことになる。
ニコラス家は十分にお金があったのだろう。
家具や調度品、壁紙など目を見張る贅沢さであるが、
ここで聞いたお話は、19世紀後半から20世紀にかけて、
ビーコンヒルのような高級住宅地で暮らす女性たちが、
どんな教育を受け、どういう人生を送ったかという物語でもある。

ニコラスさんの3人のお嬢さんたちは、
マサチューセッツ工科大学(MIT)の通信教育を受けるなど高い教育水準にあった。
長女ローズさんは父親亡きあと、後継者となり、結婚せず生涯この家にとどまった。
気の強い性格から、ボスのように振る舞っており、
彼女だけ1部屋もらっていたことから察するに、
妹たちは彼女といっしょでは苦痛だったのかもしれない
自分の肖像画が嫌いで、目につかないところに隠していたらしい。
お父さんの診療ベッドは捨てずに部屋で昼寝用に使った。
また、彼女はひとを呼ぶのが好きで、よくお茶会を催したが、
食事会に招待しなかったのは、食べることより、むしろ会話を楽しむひとであったからだという。
もし客が、いい意見を述べたり、面白い話ができないと、
次から招待しない、というきびしい一面も。
古めかしい壁紙が嫌いで、食堂以外はモダンなもの、中国的なものに張り替えた。
名前がローズなので、ばらの柄は好きだった。
2番目の妹は、アメリカで初めて何らかの形で政治に関わった?女性。
ローズさんはすぐれた園芸家でもありライターでもあり、
ニコラス一家の3姉妹は独立心の強い立派な女性に育ったということでした。
(うる覚えにつき、誤りがあるかもしれません、お許し下さい)

ポストカードとローズさんの絵が書かれたカードを買いました。
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by mllegigi | 2013-02-24 23:09 |
2013年 02月 23日

ボストンの旅⑬フリーダムトレイルをすこし。

フリーダムトレイルはボストン市内にあるアメリカ建国の史跡をめぐる全長4kmのルート。
赤い線をたどっていけば、迷わないで歩くことができます。
ほんの少しだけ、歩きました。
このあと、MITを一目見に行きましたが、そのころにはとっぷり日が暮れていました。
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ビーコンヒルからダウンタウンへ行く途中のアパートメント。
古いなあと思って。
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by mllegigi | 2013-02-23 22:44 |
2013年 02月 23日

ボストンの旅⑫ユニオン・オイスター・ハウス

タクシーの運転手さんにこのお店の名前を告げるとすかさず
「日本人はみんなユニオン・オイスター・ハウスに行くんだね、どうしてだい」
とからかわれてしまう。
どうしてでしょう。
ボストン最古のレストラン(1826)だから、でしょうか。
お店の中はにぎわっています。
ケネディ元大統領がお気に入りの席もありました。
大きなコーンブレッドがついてきます。
ほんのり甘くて、ベーキングソーダをよく効かせたものです。
これは、非常にアメリカ的なパンだという気がしました。
クランベリージュースにカキフライと果物の盛り合わせ、レモンティ、
ロブスターも生ガキも、はずした、弱虫の私です。
揚げたてのカキフライはおいしかった。
隣の席の女性たち、多分地元の、は、メインのお皿を半分以上残しました。
ああ、どう考えても量が多すぎます。
十分なおもてなしをするという、ホスピタリティの精神ゆえのことでしょうか。

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by mllegigi | 2013-02-23 17:36 |
2013年 02月 23日

ボストンの旅⑪チャールズ通りの骨董屋とカフェ

新大陸と旧大陸が出会ってなめらかにとけこんでいるものも、
多少違和感を残しているものも、好き。
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下はツナサンドとロールケーキとココアを注文したお店。
朝も昼も夜もここで食事がしたい。
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by mllegigi | 2013-02-23 15:57 |
2013年 02月 22日

ボストンの旅⑩『若草物語』オールコット女史の家

オールコット女史の家だったところには、
看板も出ていなければ、案内もない。
ちょうど通りかかった郵便屋さんに聞くと、ここがそうだ、と言う。
ほんとうに?とたたみかけると、絶対そうだ、と言う。
ルイスバーグスクエアという公園が目の前にあるすばらしい場所だ。
19世紀に生きたアメリカの作家たちは、
まだ、手をのばせば届くところにいるような気がしてならない。
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写真:ルイスバーグスクエア

1885年のルイーザ・メイ・オールコットの日記には、
九月「ルイスバーグスクエアの家を二年間借りることにした。家賃は1650ドル。
   日当りが良くて、家の前には樹木があり、空気はきれいで、友だちの家も近い。みんな大喜び」
十月「新しい家に住む準備のために、甥とケイトといっしょにボストンへ。
   家のなかをくまなく点検して住めるようにした」と書かれている。
3年後の1888年3月4日に父が亡くなり、同月6日に彼女が55歳で亡くなった。
ふたりのお葬式はこの家で行われている。
参考『ルイーザ・メイ・オールコットの日記』西村書店、
『THE JOURNALS OF LOUISA MAY ALCOTT』The University of Georgia Press

by mllegigi | 2013-02-22 23:22 |
2013年 02月 22日

ボストンの旅⑨『かもさんおとおり』を懐(おも)う。

寒い日が続いたボストンで、思いがけず温かな日がおとずれた。
むかし、子どもといっしょに読んだ絵本に出ている通りを歩く。
ビーコン通り、エーコン通り、マウントバーノン通りなどを、行ったり、来たり。
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(PENTAX Q10)

by mllegigi | 2013-02-22 19:46 |
2013年 02月 21日

ハートフォード小旅行④19世紀のマーサ・スチュアート

マーク・トウェイン家の目と鼻の先に、
『アンクル・トムの小屋』の作者、奴隷制度廃止論者ストウ夫人の家があった。
当時両家は仲良くしていたようだ。
マーク・トウェインは破産して、ハートフォードの家を手放すことになったが、
ストウ夫人は死ぬまでこの家で過ごした(1873~1896)。
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家をめぐるツアーに参加して、
ストウ夫人のライフスタイルを追う。
今で言うと彼女はマーサ・スチュアートみたいな立ち位置にあったのではないか。
当時は、召使いがいたので、奥さんたちは台所には構わなかった。
ところが、ストウ夫人は台所の設計を自分で考えた。
無駄がないように、スパイス、小麦粉など、どのくらい残ってるか一目でわかる棚を考案した。
コンロの台を低くして、女性の腰への負担をなくすようにもした。
彼女のアイディアはマーク・トウェインが気に入って、彼の家の台所でも取り入れていたらしい。
当時としては進んだ考え方の人で、彼女は夫とベッドを共有していた。
薬を大量に所持したり、家の中で緑を育てたりした。
植物などの絵もたくさん描いた。
次男?が行方不明になったというお話もあったように思う。
聞いたことはすぐ、忘れてしまうので、思い出したら、ここもつけ加えていきたいと思っています。
参考:ストウ夫人の家のツアー解説、『マーク・トウェインのラヴレター』(ディクスン・ウェクタ、彩流社)他

by mllegigi | 2013-02-21 17:50 |
2013年 02月 20日

ハートフォード小旅行②アメリカの森とユニオン・ステーション

アメリカの森には、常々いろいろなものがひそんでいるような気がしている。
神秘、恐怖、安らぎ、犯罪、孤独、思索、知恵、生命、創造、愛、恵み、、、。
バス旅行の道すがら、ずっと森を見続けた。
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コネチカット州の州都ハートフォードは人口約12万(2010)。
ちょうどボストンとニューヨークの中間にあり、保険業が中心の街だ。
ヒルトンホテルなどりゅうとしたビルが立ち並んでいるのが見える。
人種構成は白人約30%、アフリカン・アメリカン約40%。
人口の40%はヒスパニックかラテン系。
終着点ユニオン・ステーションを見渡すと、
黒人の奥さんやモデルさんみたいな人もいる。
知らないひとに見境なく話しかけている男性もいるが、
だれも冷たくあしらったりしない。
ゲイのひともひらりとあらわれる。
小さな売店にはチョコレートやクッキーやスナック菓子が並ぶ。
サブウェイで鶏のスープを注文し、一息つく。
駅構内には地方都市特有の安気な雰囲気が漂っていた。
「マーク・トウェインの家に行くなら、タクシーに乗ったほうがいいよ」と
駅の人に勧められ、ものの10分もかからずに到着。
マーク・トウェインの時代のハートフォードは印刷業の発達した大都会で、
「いいところに住んでいる」という自覚が彼にはあったようだ。
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by mllegigi | 2013-02-20 22:27 |
2013年 02月 19日

ハートフォード小旅行①ボストン南駅からグレイハウンドに乗る。

アメリカ映画では、おなじみのバス、グレイハウンド。
映画の中では、このバスに乗って、
どれだけたくさんの人が自立していくのを見送ってきたことか。
マサチューセッツ州ボストンからコネチカット州ハートフォードまで約2時間。
グレイハウンドで、『トム・ソーヤーの冒険』のマーク・トウェインと
『アンクル・トムの小屋』のストウ夫人の家を目指す。
ボストンの南駅を朝9時半に出発する。
ニューヨーク行きはクリスマス休暇のUターン客で混んでいるが、
ハートフォードへの客は少ない。
バス会社ピーターパンとグレイハウンドは共同運行しているようだ。
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出合いと別れを絶えずくり返している駅構内には、
まるで19世紀を思わせる衣装を身にまとった黒づくめの男女も数人。
宗教的なものなのだろうか。
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サウスステーションでうろうろしていたとき、
「この列の最後に並ぶんだよ」と係員のように声をかけてきたおじさんは、
誰彼の世話を焼いていたが、変わった人だ、という印象を受けた。
それを決定的にしていたのは、
彼が、コートのボタンを、2つくらいの大きな間隔で
掛け違えているためだった。
このひとはグレイハウンドのリピーターにちがいない。
一番先にやってきて、ほかの客の面倒までみて、
一番いい席を陣取り、帽子を脱ぎ、コートを脱ぎ、
それを手慣れた感じで横の席に置き、つと眠り出す。
インド人の母娘も列に並んでいる。お嬢さんは30前後だろうか。
ふたりとも、民族衣装のサリーを着ている。
英語で話したり、ヒンディー語で話したりする。
ビニール袋からサンドイッチを取り出し、バスの中で楽しそうに食べていた。
東洋系の男の人が2人。日本人かな、と思ったが、
携帯で話す言語は日本語ではなかった。
ひょろっと背の高い白人の男の子も。

晴れた冬の朝、グレイハウンドは、
さまざまな目的を持った、さまざまな人種の客を乗せ、
暗いターミナルの地下を抜け、ボストン市内を背後に、
今まで小説と映画でできていた私のアメリカを蹴散らせながら、力強く走って行く。
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by mllegigi | 2013-02-19 17:32 |